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2013
09.09

生きものとして

Category: 共生への道
2012年2月22日のMy Blog「レベル 7 現地から - 5 -」でご紹介した、連れ合いのR女史の作文。
その後もミニコミ誌や同人誌などに折々の想いを投稿し、掲載してもらったりもしているのだが
先日、「新しいのが出来たから、あーたのBlogにも載っけてちょーだい」というリクエストがあった。

PCが嫌いで、日ごろ僕がPCの前に居る事を芳しく思っていない女史には
ちょっとだけ言いたい事もあったりするのだが
ま、ここは波風を立てず、笑顔でニッコリと「あいよ」と応えておいた方が
家庭内の平和を維持するためには得策かと思われるワケで…。(-_-;)

そんなワケで、R女史の新作デス。

生きものとして
                         
 まだ梅雨の明けない7月半ば、奥会津の只見町で、日本自然保護協会主催の自然観察指導員講習会が行われ、参加した。年に何度かあちこちの場所で開催しており、今回は第474回、全国で2万6千人もの人々がこの資格を持ち、それぞれの場で活躍されている。自然の「みかた」を身につけ、自然観察会等を通してより多くの人々と自然のすばらしさを感じ合いながら、自然保護につなげていこうという趣旨のものだ。

 私の家は山のふもと。集落の一番奥で、ここから先は登山道しかない。庭なのか山なのかよくわからないようなところをしょっ中歩き回っている。夫は数年前にこの資格を取り、何度も自然観察会を開いていて、私もほとんど参加している。手入れされず放置された里山を何とかしたいと、小さなグループを作り、草刈りや間伐を行なったりしてきた。指導員の友人もたくさんいる。

 自然のことを少しは知っていたつもりだったけれど、講習会を受ける前と後ではやはり何かが変わった。

 只見町は、只見川やブナ林などその豊かな自然環境を、町をあげて守ろうとしている。自然と共に生きてきたさまざまな文化も残っている。地元の方も何人も講習会に参加している。今回の会場は、宿泊した「森の分校ふざわ」の庭と裏山。ちょっと田舎に行けばどこにでもあるような、でもよく見ると貴重な植物がたくさんある山だ。皆で歩き、観て、考え、話を聞き、ディスカッションした。

 分校のドアにへばりついている虫、花壇の石の上にあった動物の糞、道ばたの花、木の幹の感触、足下の土や土に還っていく葉っぱ。普段何気なく見過ごしているものを、立ち止まり、採らずによく観て自然の大きな営みを感じることが大切。名前を覚えることが目的ではないということを、実感で教えていただいた。

自分が活動することによって自然の「みかた」を広げ、「自然を守るということはどういうことか」を考え、「何をすればよいか」を一緒に考えていく。テキストに、自然は「保護するべきもの」という傲慢な感覚ではなく、昔から日本にもあった価値観、つまり人間も自然の一員として共存し、謙虚に生きるという感覚が大切だ、ということが書いてあり、とても共感した。
 受講者同士やスタッフの方々、地元の方とも交流ができ、手作りの食事も最高で、雨の中ではあったがとても有意義な講習会だった。

 本当は、2011年に、この講習会をいわきで開催する予定だった。しかし大震災と原発事故で中止され、今年の只見での開催に変更されたのだ。いわきからも今回、ベテランの指導員がスタッフとして来て下さった。今まで何回もいわきで観察会を開き、子供達を対象にした楽しい企画も継続していたのに、原発事故で全ての計画が狂ってしまった。線量の低い場所でやろうとしても、お母さん方からの反発があり開催できないという。指導員もお母さん方も、まちがったことを言っている訳ではないのに。

 もの言わず、ひたむきに自分の生を生きている野の草花や虫や鳥や動物達。避難地域の、人の住まない家は雑草やネズミだらけというが、彼らにだって放射能の影響はあるはず。野生化してしまった家畜や犬や猫、水の入らない田んぼに繁茂したセイタカアワダチソウ。高線量の中を、彼らはどんなことを考えながら生きているのだろう。地面にしみこんでいったセシウムは、人間よりはるかに小さい地中の生きものや微生物にどんな影響を与えているのだろう。何百年もかけて育まれた命の源である地下水が、毎日毎日大量に汚染され、行き場を失っている現実は、百年後はどうなっているのだろう。

 今まで当たり前だった美しい自然の姿を、自分の家で感じることができない悲しみ。海の恵みで生きてきた人達の絶望感。毎日毎日、被爆しながら作業を続けている人々。出荷できない牛とともに、未だに高線量の中で生きている人もいる。何万、何十万という人々が、あの日以来苦しみ続けているのだ。

 こんなにむごい現実が今起きているというのに、二度と繰り返さないようにと、なぜこの国は動いていかないのか。
 人間は自分達の欲のために、必要以上に他の命を奪い、自然を壊し続け、新しいものを作ってきた。その新しいものによって今人間は苦しめられ、ささやかな幸せを奪われ続けている。このことを、私はどう考えればいいのだろうか。

 子供向けの、昆虫の本を読んだ。クジャクチョウは、一度に百個位卵を産む。そこから幼虫が生まれても、蜂やクモ、鳥などに24時間ねらわれ続け、成虫になるのはわずか数%。頭ではとっくにわかっていたことだけれど、本当に厳しい環境の中を生き抜いている。彼らは、少なく生んで大事に育てるという選択をしても良さそうなのに、そうしていない。見方を変えれば、自分達の子孫だけでなく、他の生きものも育てている。自分の子供を犠牲にして、だ。そう思った時、私はうなってしまった。
 他の虫達も、いや虫だけではない。おそらく、人間以外の全ての生きものはそうやって、自分達の子孫と他の生きものの子孫と両方を育て、命の鎖をダイナミックに繋げながら生きている。そうやってこの星は成り立っているのだ。

 私は今、看護師とケアマネジャーの仕事をしている。お年寄りが、残された人生をより有意義に、笑顔で過ごすことができますように、と思いながら仕事をしている。そのためには私も元気で、笑顔でいなければいけない。でも、今の福島の現実を考えると、怒りや空しさや無力感がこみあげてくる。特に浜通りの医療、福祉の現場の厳しい状況は、胸をしめつける。でも、自分が動くことによって少しでも子供達や未来の地球のために何かできるのなら、といろいろなことに首をつっこんだりしている。でも、がっくりくるようなニュースが流れると、また気持ちが落ち込む。でも・・・。そんなことの繰り返し。

それでも。
 自分の目の前や足下にある、花や虫や水の流れ、風のにおい、鳥のさえずり、動物の足跡、空の色、星のまたたき、赤ん坊の瞳。その美しさを感じることに、敏感になりたい。地球に住む生きものとして道をそれることなく生きていたい。その感覚と誇りを、少しでも多くの人々と分かち合う事ができますように。そのための仕事に、私のこれからの人生を使う事ができるように。


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■9月7日~8日、会津自然の家で福島県自然保護協会主催による指導員スキルアップのための研修会が開かれ、県内各地で活動する自然観察指導員が集まった。写真は野外研修での一コマ。


2013-09-07-08 (1)
座学の模様

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